神話のふるさと・高千穂編

2007.8.15.作成


  6月16日の土曜日、久方ぶりに長男と休みが合ったので、歴史好きの私としては以前からど
 うしても子供たちを連れて行きたいと思っていた宮崎県の高千穂へ行くことにしました。
  この日は前日の雨も上がり、快晴は期待できないまでもまずまずの空模様で、私の車は快
 適に九州道を南下しました。
  コースとしては行きは御船ICで高速を降り、R445で矢部町に入り通潤橋で小休止後、R218
 経由で馬見原から高千穂へ。帰りはR325で高森峠を越え、南阿蘇の風景を見ながら俵山→
 西原村→熊本空港→熊本IC…といったルートを考えていました。
  以下に実際の行程を紹介します。
 
 
高速を御船で降りて最初に立ち寄ったのが
通潤橋。
以前観光写真の仕事をしていたときは良く
立ち寄っていたけど、ホント、久方ぶりに寄っ
てみたら「道の駅」になっていた。
(以前から駐車場は広かったけどね…)
この橋は1854年に造られた日本最大の石造
りアーチ水道橋で、国指定の重要文化財。
橋の長さ75.6m、高さは20.2mで、上部には
逆サイホンの原理を応用した石の通水管が
3本あり、今でも周辺の田畑へ水を送ってい
るという。
以前は通水管内部の堆積物除去の目的で
放水が行われていたが、今では観光放水と
して毎週土、日の正午一回ではあるが、豪快な放水が見られるという。
この日は高千穂への道中のため残念ながら
放水を見ることはできなかった。
道の駅通潤橋で。
この地方のお祭りで使う山車か?
なかなかに迫力があった。
高千穂に着いて最初に行ったのは高千穂峡。
写真は御橋から見た真名井の滝。
この日は梅雨時ということもあり、川の水が
濁っていて残念だった。
高千穂峡の遊歩道を少し歩いたところから
真名井の滝を見る。
上の写真を撮った御橋は滝の向こう側。
阿蘇の溶岩が削られてできたと言うこの渓谷
の岩肌は圧巻!自然の力ってすっごいな〜。
上の写真の位置から上流方向を見る。
遊歩道はまだまだ先まで続いていて、高千穂
大橋の袂まで行ける。
高千穂峡を後にして高千穂神社に行った。
この神社は高千穂八十八社の総社として古
くから篤い信仰を集めてきたそうで、杉の巨
木のなかに鎮座する社殿の雰囲気は厳かで
何とも言い難いものがある。

御祭神は高千穂皇神(天照大神の孫で天孫
降臨をした番能邇邇芸命《ニニギノミコト》、
日子穂穂手見命《ヒコホホデミノミコト》、鵜
草葺不合命《ウガヤフキアエズノミコト》のい
わゆる日向三代の神々とその配偶神)と
十社大明神(神武天皇の兄に当たる三毛入
野命《ミケイリノミコト》とその妻子神)で第
11代垂仁天皇の時代に創建されたという
由緒正しい歴史のある神社。
 日向三代とは…
天照大神の孫に当たる天津日子番能邇邇芸命(アマツヒコホノニニギノミコト)が高千穂の峰に天降って、天つ神の日向時代が始まる
(日向神話の始まり)。
日向初代である邇邇芸命が大山津見神の娘の木花之佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)を娶り、一夜を共にする。木花之佐久夜比売は
邇邇芸命の子どもを身ごもるが、邇邇芸命は一夜だけで身ごもるとはおかしい、国つ神の子ではないかと姫を疑う。疑われた姫は、身の
潔白を証明するため、生まれてくる子が日の皇子なら、どんなことがあっても神が守ってくれるはずだと信じて、出口のない産屋に火をか
け、燃えさかる炎の中で、3人の子を産み落とす。火が燃え始め輝く時に生まれた子が火照命(ホデリノミコト)、火が燃えさかっていく時に生まれた子が火須勢理命(ホスセリノミコト)、火の勢いが次第に弱まっていく時に生まれた子が火遠理命(ホオリノミコト)である。(こ
の火照命が海幸彦で、山幸彦の火遠理命との「海幸山幸」の神話は有名だがここでは省く)
古代は末子相続だったそうで、火遠理命=天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)が2代目となり、海神の娘 豊玉毘
売(トヨタマビメ)との間にできた子が天津日高日子波限建鵜草葦不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)で、3代目
となる。
この鵜草葦不合命の名は豊玉毘売が身ごもったことを知った穂穂手見命が鵜の羽を葦草にして産屋をつくろうとしていたが、屋根を葦き
終らぬうちに誕生した御子であることから名付けられたという。
また、出産の最中、豊玉毘売は自分の姿をけっして見てはいけないと言って産屋に入るが、穂穂手見命はその約束を破って、出産の姿
を見てしまう。本来の姿である八尋和邇(ヤヒロワニ)になって、出産しているのを見られた豊玉毘売は、鵜草葦不合命を残し海神の宮へ
と帰ってしまう。しかし穂穂手見命と鵜草葦不合命のことが心配な豊玉毘売は妹の玉依毘売(タマヨリビメ)を遣わし、以後、玉依毘売が
鵜草葦不合命を育てる。
そして鵜草葦不合命が叔母で育ての母である玉依毘売と結婚して五瀬命(イツセノミコト)、稲氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミ
コト)、若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)の4子をもうけるが、この第4子の若御毛沼命が別名神倭伊波毘古命(カムヤマトイハレビコノミコ
ト)、のちの第1代神武天皇である。
すなわち日向三代とは神武天皇の父、祖父、曽祖父のことなのである。
また、神武天皇のすぐ上の兄の御毛沼命は古事記によると波の穂を踏んで常世の国へ渡ったとあるが(常世とは永遠の国で現世に幸
福をもたらす理想郷。海外の異境にあると信じられていた。)、高千穂では三毛入野命(ミケイリノミコト)と呼ばれ、悪神を退治し英雄として高千穂を治め、高千穂神社に祀られている。
 
この杉は「秩父杉」と呼ばれ鎌倉時代、源頼朝の名代として秩父の畠山重忠が代参した際に重忠自らが手植えにしたと伝えられている。
樹齢800年という巨木だ。
 
本殿脇の彫像。
その昔高千穂には「鬼八」という悪神がいて、
人々を苦しめていたので、三毛入野命はこれ
を退治し高千穂の地を治めたと伝えられてい
る。 この彫像は鬼八を退治する三毛入野命
の姿。
高千穂神社からしばらく車を走らせて天岩戸
神社へ向かった。
ここは天照大神の岩戸隠れの伝説の地で、
写真の拝殿の奥に岩戸川が流れ、その対岸
にこの神社の御神体でもある天岩戸という洞
窟がある。(社務所で申し込むと拝殿奥の遥
拝所まで案内して頂ける。 因みに岩戸は御
神体のため撮影禁止。)
 岩戸伝説とは…
あるとき、天照大神の弟である須左之男命(スサノオノミコト)が、高天原に来て大暴れをした。それに怒った天照大神は洞窟に隠れて
しまう。天照大神は太陽神。おかげで世の中には光が射さなくなってしまった。神々は大いに困り、天安河原に集まって会議をした。
思金神(オモイカネノカミ)の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。そして、天宇受売命(アメノウズメノミコト)がうつぶせにした
桶の上に乗り、半裸になりながら滑稽な踊りを踊った。神々は大笑いしその哄笑にさそわれて天照大神が覗き見をしようとして戸を少し
あけた所を天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)が、ものすごい力で戸を開け、天照大神を引っ張り出し、再び世界に光が戻った。
ちなみに、このとき天手力男命が放り投げた戸は、長野県の戸隠まで飛んでいったそうで戸隠山にある戸隠神社には、岩戸開きに功績
を残した神々が祀られているそうだ。
 
岩戸川沿いを天安河原へ続く遊歩道。
天安河原への遊歩道の途中にあるコンクリー
ト製の太鼓橋。欄干が朽ちていて手すりが新
設してあった。
天安河原。
天岩戸神社から岩戸川沿いを10分程度上流
に歩くと天照大神の岩戸隠れの際、八百万
の神々が集って対策を話し合ったとされる天
安河原がある。
ここには無数の小石の石積みがあり、ギョッ
とさせるが、これはたくさんの石を積みながら
願いを祈るという慣習によるものだそうで、
なるほど八百万の神々が集った場所、願い
が叶わないはずが無いと思えてくる雰囲気
が漂う場所だった。
天岩戸神社の鳥居横にある天手力男命の像
天岩戸神社から高千穂市街へ戻り、昼食を
とった後、帰り道に立ち寄った国見が丘。
標高513mのこの丘からは、五ヶ瀬川に沿っ
て広がる高千穂盆地を一望でき、また、西に
は阿蘇の五岳、北には標高1757mの祖母山
をはじめとする連峰、南には霊峰「二上山」に
続く椎葉の山々を望む、眺望のとても優れた
場所。
国見が丘の謂れは阿蘇開拓の神でも知られ
る健磐龍命(タケイワタツノミコト…神武天皇
の孫)が九州征討の際、日向から阿蘇に向か
う途中にこの丘の上から国見をされたという
故事から、国見ヶ丘と呼ばれるようになったと
いう。
この写真は高千穂町内方向。右手に見える橋
が高千穂峡を跨ぐ「神都高千穂大橋」。
国見が丘より阿蘇方面を望む。
この日は雲が多く霞んでいて、残念ながら阿
蘇は見えなかったが、天気が良ければこの
写真の左のほうに阿蘇の涅槃像が見えるら
しい。
帰り道は高森から俵山トンネルを抜け熊本に
出るコースを取った。
写真は俵山トンネルを抜けるとすぐ見える西
原村の風力発電用風車。

注:神話の神々の名の表記は古事記に則っています。日本書紀や風土記等とは表記が違う場合があります。


 
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