九州鉄道記念館編

2021.04.10.作成


  このコーナーは随分久しぶりの更新ですが、以前の更新後に出掛けた名所等を覚えている範囲内でご紹介したいと思いますの
 で、よろしくお付き合いください。
 
  さて再開第1弾は、2011年の6月、今から10年ほど前になりますが、鉄道ファンの私が以前から行ってみたいと思っていた門司
 にある九州鉄道記念館を訪れた時の事を写真を元に思い出しながらご紹介したいと思います。 なにぶん10年前のことですから、
 現在とは変わったところもあるかもしれませんが、そこのところはご容赦ください。
 
  それでは下からそのときの模様をご覧ください。
 
 
九州鉄道記念館の本館。
この建物は1891年に建てられた旧九州鉄道の本社社屋で、赤レンガ造りのレトロな感じがいい雰囲気だ。

いかにも明治時代の名建築で存在感がなんともいえない。
なお、この2枚の写真はGoogleMap から拝借した。
 
 
車両展示場と中央ゲート。
中央ゲートで入館料 (大人300円、中学生以下150円) を払って入場すると、中には長いホームがあって、車両が展示されている。
 
 
車両展示場の前にある0哩標跡。
九州の鉄道の起点となる印だ。 左奥には門司港の駅舎が見える。
 
右は0哩標跡の拡大写真。
中の文面には「ここは九州鉄道が明治24年に門司駅を開業したとき、九州鉄道(鹿児島本線)の起点と定めたところです。
九州の鉄道網の形成の原点となった場所です。その後大正3年に駅が今の位置に移り、跡形がなくなっていましたが、
鉄道百年を記念して標識が埋められました。鉄道記念館の開館にあたって旧0哩標として立体的に復元しました。」とある。
 
 
駅名表の拡大写真。
右から左へ読むのはわかるが、アルファベットの綴りが「MOJI」ではなく、「MOZI」なのには驚いた。
福岡県企救郡というのもこの駅名表で初めて知った。隣の駅が「だいり」となっているが、これが今の門司駅で、この門司駅は今の門司港駅である。
 
0哩標の前には門司港駅の留置引込み線があり、この日はごらんの車両が留置してあった。
 
 
中央ゲートから入るとすぐにあるのが9600型蒸気機関車だ。9600型は初の国産貨物機関車で、その活躍の場は九州全域に及んだという。
SL人吉で活躍する8600型を「ハチロク」と呼ぶように、9600型は「キュウロク」と呼ばれ親しまれた。
この機関車は昭和49年に米坂線(新潟県〜山形県)から後藤寺機関区(福岡県)に転属してきたとのことで、
遠くからやって来た機関車はその番号から「ごくろうさんよ」とファンの間では呼ばれていたそうだ。
 
 
59634号機の後ろにあったのは、C59形蒸気機関車だ。
この機関車は東海道、山陽本線の主力機として活躍し、昭和31年には門司に配属され、寝台特急「あさかぜ」などに使用された後、昭和37年
には、熊本に転属し、熊本初の特急「みずほ」を牽引したそうだ。 この1号機は昭和40年の熊本電化が完成した時点で、軸重が重く転属先が
無いことから廃車となり、準鉄道記念物として小倉工場で展示保管されていたそうで、廃車までに地球62周分を走行しているということだった。
  
左写真はC59 1の3軸の動輪。
3軸だから「C」となる。よく知られる「デゴイチ」のD51は「D」だから動輪は4軸ある。
これは電気機関車やディーゼル機関車も同じで「EF」は6軸で「ED」は4軸、「DD」も4軸となる(頭のEは電気、Dはディーゼルの意)。
この動輪は9600などのスポーク動輪と違い、D51と同じ蓮根形に穴の開いた動輪が採用されている。
 
 
次に展示してあったのはEF10形直流電気機関車。
この機関車は、昭和17年の関門トンネル開通時にこの区間だけが電化され、トンネル専用の電気機関車として配置されたもので、
その後、昭和36年に九州側が交流2万ボルト、本州側が直流1千5百ボルトの電化となった際に交直両用機関車に役目を譲った。
この35号機はこの車体色だが、海底トンネル用に錆防止の為、ステンレス車体の上にこの塗装をしてあるそうで、関門トンネルで
の役目を終えた後、本州各地で昭和54年まで使用され、引退後は九州に戻り、門司大里公園で保存されていたとのことだった。
 
 
ED72形交流電気機関車。
昭和36年の鹿児島本線門司港〜久留米間交流電化に合わせ使用する電気機関車として開発・投入された。
旅客列車の蒸気暖房用ボイラーを載せているため、車長が長く中央に動力の伝わらない中間台車があるのが特徴だが、
暖房が蒸気から電気に変わり、ボイラーも不要となったため、旅客用に限定する必要もなくなり晩年は貨物列車にも使用されていた。
この車両は試作機関車で他の同型機とは若干趣が異なっているが、九州初の交流電気機関車として門司区の老松公園に保存されていた。
 
 
キハ07形ディーゼルカー(ガソリン車時代の車番はキハ42055)。
戦前の代表的な機械式(クラッチで変速する方式)気動車で、連結運転の時は双方の運転士が合図しながら走っていたそうだ。
昭和27年にガソリンエンジンをディーゼルエンジンに変更した後、昭和32年に豊後森機関区に配置され、宮原線で使用された。
昭和44年に引退し、豊後森機関区や大分運転所で保管された。戦前に製造された同型車で原形を保っているのはこの車両だけという。
 
 
交直両用特急型電車481系。
昭和33年に登場した直流用電車特急「こだま」型の発展型で、昭和40年の熊本電化にあわせて開発された60Hz用の交直両用電車。
この車両は昭和44年にクロ481-5(グリーン車)として誕生し、東北地方で活躍していたが、昭和58年に鹿児島車両所に配属となり、
普通座席車へ改造されてクハ 481-603と車号が変わった。 九州では特急「にちりん」や「かもめ」、「有明」等として使用されたのち、
平成9年以降はJR九州の小倉工場で保存されていたそうだ。 右写真は懐かしい国鉄のJNRマーク。
 
 
世界初の寝台電車特急「月光」として昭和42年にデビューした581系交直両用電車。
昼間は座席特急として昼も夜も運転できる便利な特急用車両。昭和45年には仲間も増え「つばめ」、「はと」などの関西、九州間特急に使用された。
昭和59年に小倉工場で普通電車に改造され交流電車715系(クハ7151)として生まれ変わり、おもに長崎、佐世保線で平成12年まで活躍していた。
廃車後は登場当時の特急塗装に戻され小倉工場に保存されていた。
 
右上写真が三段式寝台の下段で、左下写真のところに上段と中段の寝台が格納してある。
 
 
本館内部には明治時代から活躍してきた九州鉄道の客車チブ37号(実物)が展示してあり、
その周りには当時の乗客や車掌などの人形が配置され、かつての旅の情景が感じられた。
 
 
チブ37号の内部に入ってみると、なんと座席は畳張りだった。
 
 
九州を舞台にしたHOゲージ(線路幅16.5mm)の鉄道模型のジオラマがあった。
博多駅、門司港駅からJR九州を代表する列車が次々と発車し、迫力ある映像とナレーションが流れる。
 
 
運転シュミレーター。
811系近郊型電車の運転台で門司港〜折尾間の実際の路線風景での運転を疑似体験できる。
 
 
九州を走った特急や寝台車のヘッドマークが展示してあるコーナー。
「つばめ」にはいろんな種類のヘッドマークがあったんだな〜とあらためて思った。
丸いものは客車列車時代のもので、横長のやつは電車特急になってからのだと思う。
寝台特急のヘッドマークは「はやぶさ」が無いのがちょっと残念だった。
 
 
なにぶん10年前の写真からですので、九州鉄道記念館のHPやウィキなどを参考にしながらの解説になりましたが、如何でしたか?
現在は車両展示も14系寝台客車や、電車や機関車の前頭部展示(運転席に入れるとか…)などもあって見ごたえが増したようです。
門司港レトロもすぐそばだし、コロナが落ち着いたら皆さんもドライブで如何ですか?
 
 
 
 
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