2021.2.26作成
2022.1.24追加

 
平成28年の熊本地震で、熊本城と同じく大きな被害を受けた肥後国一ノ宮である阿蘇神社。
その被害状況につきましては「平成28年熊本地震 その後 阿蘇編」で一報いたしましたが、
 まもなく地震後5年を迎えようという今日、その復旧作業もかなり目に見えるものとなってきました。
 
阿蘇神社のサイトによると、各社殿の再建工事の予定が拝殿は今年(令和3年)の6月までで、
楼門が令和5年の12月まで、となっていますので、若干の工事完了時期不明の建物もありますが、
令和6年の初詣時には 約8年ぶりに元の阿蘇神社の姿が見られるんじゃないか と期待しています。
 
以下に 初詣や水汲みの時など、折に触れ お詣りに行った阿蘇神社の模様を写真でご紹介いたします。
 
これらの写真は地震で倒壊する前の「日本三大楼門」のひとつに数えられる楼門。
注連縄下の人物からもその大きさが感じてもらえるだろう。
 
この楼門は両脇にある還御門、神幸門や神殿などとともに国の重要文化財に指定されている。 
「阿蘇神社」の文字が入る扁額もかなりの大きさだ。
 
 
地震倒壊半月後の楼門。 倒壊した楼門の前には仮参拝所が設置してあった。
楼門両脇の還御門、神幸門も倒壊は免れたが、被害を受けた。
 
 
重文指定の為か、倒壊した木材部分にはブルーシートが張ってあった。
 
 
いよいよ解体工事が始まった。
安全確保と重文指定された楼門の各部材を雨で濡らさない為か、
頑丈にシートで覆われ内部の作業状態は見えなかった。
 
 
5/28には還御門の修復工事が行われていた。
 9/3にはそれも終わったのか覆いも解かれていた。
 
 
丸1年が過ぎても解体工事は終わらない。
重文指定の為、慎重に工事しているのがわかる。
右の写真では覆いの内部の状況が写真で紹介してあった。
 
 
これがその写真群のアップ。 解体中の臨場感が伝わる。
 
 
上の写真群の中に空から見た写真があったので、少し見辛くはあるがアップにして境内の配置図にしてみた。
各社殿の位置関係がお分かりいただけると思う。
この写真左方向が南で、阿蘇五岳方向、右手が北で北外輪山方向となる。
 
 
解体工事も完了し覆いが解かれていく。
 
 
完全に覆いが解かれた状態。
右の写真では楼門の基礎石が仮置きしてあるのがわかる。
 
 
左写真…手前から還御門、解体された楼門、神幸門。
右写真…仮置きされた楼門の基礎石。
 
 
20/6/21になると今度は組み立て工事の為の建屋ができていた。
左写真の建屋前面のグレーの覆いは…。
 
 
8/9になると修復できたかのような実物大の楼門が描かれていた。
6/21のグレーの覆いの中でこの作業が行われていたんだろう。
4年ちょいぶりにこの風景が見れてちょっと感動した。
 
 
12/5には建屋のシャッターが少し開いていたので中を覗いてみた。
いかにも楼門の再建中、という感じはわからなかったが、
この中で大変な工事が行われているんだという雰囲気は伝わってきた。
 
 
重文指定の楼門の再建だけに、熊本城の石垣などと同じで、慎重な作業にならざるを得ない。
神社のサイトによると楼門の再建工事完了予定は令和5年12月だということだった。
 
 
両脇の翼廊も含めて昭和23年に建てられた地震倒壊前の拝殿。
肥後国一ノ宮としての風格を持った社殿だ。
 
 
熊本地震本震で倒壊半月後の拝殿。
こちらは重文でもないためかブルーシートの覆いはなかった。
 
 
11/23には仮拝殿ができていた。
一方で倒壊した拝殿の撤去作業も始まっていた。
 
 
17/9/3になると拝殿の解体撤去も済み、仮参拝所ができていた。
奥には拝殿の陰で見えなかった神殿が見える。
 
 
18/9/17には仮拝殿で結婚式が行われていた。
年が明けて19/1/13、元の拝殿の位置にできた参拝所でお参りする初詣の人たち。
 
 
19年の9月、再建の為のお清めだろうか…
20年の1月以降、いよいよ拝殿の再建が始まるようで、基礎工事が行われていた。
 
 
20/12/5には拝殿の再建工事もここまで進み、元の姿を取り戻しつつあった。
 
 
年が明けても工事は順調に進んでいるようで、阿蘇神社のサイトによると6月には完成予定のようだ。
 
 
地震前の一の神殿。
前に拝殿があるので翼廊のところから覗いた。
 
 
倒壊した拝殿の撤去が済むと今まで見づらかった3棟の神殿がよく見えるようになった。

 手前に並ぶ2棟のうち左手が健磐龍命ほか4柱の男神様を祀る一の神殿で、
右手がお妃である阿蘇都媛命ほか4柱の女神様を祀るを祀る二の神殿。
奥の三の神殿には健磐龍命の子で、初代阿蘇国造の國造神ほか1柱の男神様が祀られている。
 
 
18年の9月にはこれらの神殿も修復作業中だった。
 
 
19年の1月には神殿の修復も終わったようで、覆いも外されていた。
 
 
参道内から見た南鳥居。
奥に見える山が阿蘇最高峰の高岳。
(14年の1月と17年の5月でかなり山の大きさが違うのはレンズの画角が違うから…)
19年の1月には痛んでいた鳥居も撤去され、20年の12月にはそれも復元された(北鳥居も同様)。
 
 
 ※これから下は令和4年1月追記の記事です。
 

完成予定の6月まであと少し…
最終段階に入っている5月末の様子。
 
 
工事中の楼門を覆う建屋のシャッターが少し開いていたので、
覗いてみると団体さん向けだろうか、何か説明会みたいなのが開かれていた。
 
 
再建なった拝殿に初めてお参りに行った。
以前の拝殿と形はほぼ変わらないけど、新しいので少しの違和感もあったが、きちんとお参りしてきた。
 
 
地震前の拝殿との比較。 形状はほぼ変わらない。
 
 
多くの人々がお参りに来ていた。
拝殿の中にはお神輿が安置してあった。
 
 
7月23日にはまだあった仮拝殿も9月5日には解体されていた。
 
 
令和4年1月4日に行った初詣。
駐車場も満杯で沢山の人で賑わっていた。
あとは令和5年12月に予定されている楼門の完成が待ち遠しい。
 
 
 ※これから下は令和5年8月追記の記事です。
 

7月17日の海の日にお詣りに行った時には、楼門を覆っていた建屋も解体され、
約7年ぶりに堂々とした楼門が姿を現していた。
まだ楼門をくぐることはできないが、目に見えて復旧が進み、喜ばしい。
 
阿蘇神社に祀られている健磐龍命(タケイワタツノミコト)は、初代天皇である神武天皇の孫とされています。
 
私が観光写真の仕事をしていたとき、添乗中のバスのガイドさんに聞いた話では、健磐龍命が九州地方へ下向した時、
並々と水を湛えた大きなカルデラ湖を見つけ、この湖水を流してしまえば作物の実る豊かな土地が現れるだろう、
と思った命(ミコト)は外輪山の一箇所を蹴破って水を流し出そうとしたそうです。 ところが、命が最初に蹴った所は
山が二重に重なった所で、しりもちをついた命は思わず「おぉ~、立てんのう~」と言ったそうです。そして、このときの
蹴ったところが今の二重の峠で、しりもちをついたところが立野になったという事でした。 このあと、今度は外輪山の
薄そうなところを蹴破ったところ、山が割れ、そこから水が流れ出て、広大な土地が現れたということでした。
 
このように阿蘇の生みの親といっても過言でないほどに地元の人々に慕われている
健磐龍命を祀る阿蘇神社、九州最大の楼門があるのもうなずけます。
 
今後は一日も早く復旧した楼門や拝殿を見たいのは山々ですが、熊本城と同じく、工事中の今も
なかなかに見ごたえがありますので、コロナが落ち着きましたら、ぜひお詣りに足を運ばれますことをお勧めします。