写真をClickすると大きなサイズで見れます。

 玉名・荒尾・大牟田編 

玉名市にある大坊古墳。(国指定史跡) 
この古墳は、1年に1回、10月の第3土曜日と日曜日にのみ公開される。
2000年は10月21、22の両日公開されたので、早速見学に行った。
写真は臨時駐車場から墳丘の方を見たもの。
この写真の左側に大坊古墳の墳丘がある。
石室入り口の裏側から見た墳丘。(後円部) 
大坊古墳は、昭和52年の調査により、墳丘の長さ42メートルの前方後円墳であった
らしいことがわかっている。
石室内部。 
この奥壁には群青と赤で塗り分けられた三角形と円形の文様がある。
群青色ははっきりとはわからなかったが、赤色は綺麗に残っていた。
(写真では明るさが足りない為良くわからないかもしれないが…)
装飾部分のアップ写真。 
ガラス越しの為、ストロボが使えず、スローシャッターを切っているので、
若干手ブレがあるかもしれないが、ご容赦を。
装飾部分の解説図。 
見学時に頂いた解説書からのコピー。
玉名市にある石貫穴観音横穴。(国指定史跡)
奥壁に千手観音像を彫ってあるのでこの名がある。
入り口のアーチ部分にも赤い色の文様の跡が残っている。
千手観音の伝来から考えて8世紀前期の築造と思われる。 見学自由。
穴観音横穴の内部。
1番の特徴は奥室上部の瓦葺の庇と奥壁の千手観音像である。
千手観音像は左側で、右側にあるのは後から安置した観音像である。
私も実際に見て、この庇と観音像には驚いた。
観音像の拡大写真。
このような装飾は、日本の装飾古墳の中でも例が無いので、
後から彫られたものと疑われたこともあったが、その手法、形体などから、
今では当初のものと認められている。
同じく石貫地区にある石貫ナギノ横穴群。(国指定史跡)
菊池川の支流、繁根木川の岸壁に約300mに渡って48の横穴が
発見されている。入り口は、二重・三重のアーチかもしくは角の取れた
台形をしていて、そこには、赤い顔料で円形や三角の文様が描かれている。
ナギノ横穴群7号墓の内部。
奥と手前左右に3つの屍床が造られている。
奥の屍床につけられた家形の屋根に線刻された弓や舟、
壁に浮き彫りにされた刀などの装飾があり、貴重である。
7号墓の入り口上部。
赤の顔料で円などを書いてあるのがはっきりわかる。
この横穴群は、今から1300〜1400年程前の古墳時代末期に造られた
豪族たちの共同墳墓とおもわれる。
玉名市立歴史博物館<こころピア>
古墳の時代から近世高瀬藩の時代まで数々の資料を展示。
石貫穴観音横穴の精巧な模型もある。
荒尾市の別当塚東古墳。(県重要文化財)
県内でも古い形式の古墳で、5世紀前半の築造と見られ、
墳丘には葺石と形象埴輪が認められる。
別当塚古墳石室。
輝石安山岩を割石小口積にした竪穴系横口式石室。
竪穴式から横穴式への変遷を考える上で貴重な古墳。
荒尾市の三の宮古墳にある武装石人。
高さ104cm肩幅63cmで、かぶとを冠り短甲をつけ、赤い顔料で
彩色されている。この種の石人は、磐井の勢力範囲でしか出土していない。
この石人は保存状態も良く、国の重要美術品に指定されている。
大牟田市にある萩ノ尾古墳。(国指定史跡)  
径16m、高さ4mの円墳で、おそらく6世紀終わり頃の築造と思われる。
国立有明高専の隣にあり、荒尾市の別当塚、三宮の両墳とも近い位置にある。
この階段を上れば、石室への入り口がある。
萩ノ尾古墳の石室入り口。  
この扉は鍵が掛かっており、近くのフードショップで鍵を借りて見学する(記名必要)。
詳しい問い合わせは大牟田市役所生涯学習課へ。
石室部分実測図。  
上の写真の扉を開けて中に入ると説明文と実測図があった。
実測図の装飾部分。  
石室内部。  
阿蘇凝灰岩の壁面に赤一色で、円形、舟形などの装飾が施されている。
装飾は現在、この奥壁のみに見られるが、以前は右壁にも認められたと言う。
尚、出土品、遺物については、手掛かりを得ないということである。
(ガラス越しの為、画像が悪いのはご容赦を…)


菊水・山鹿編 鹿央編 鞠智城編 江田船山国宝展編


   古代の浪漫に浸ろう ! TOPへ