2001.10.25.作成


  この写真集は昭和35年11月、争議終結を記念して、三池新労、三池職組両組合によっ  て編まれたもので、総ページ数90ページ(うち写真ページ80ページ)の写真集です。
  なにぶん古く、保存状態も良くありませんが、数回に分けてUPしていきたいと思います
 ので、興味のある方はお付き合いください。
  (文章も写真集の文面を原文のまま使用しています。)
  
 
 
 
父の影響で若い頃から
よく見ていた写真集
「三池のあしあと」
 
発行から40年が過ぎており、
もうボロボロだが私にとって
は大切な父の形見である。
 
 
企業合理化反対の抗議行動続く
第一次会社再建案撤回要求大会
  (S34.4.1)
 三池鉱業所本館裏広場
会社幹部に詰め寄る炭婦協役員
(本館会議室)
炭婦協デモ隊に抗議内容をマイクで聞かせる
 
 
企業合理化反対、期末手当要求、給料遅配
反対の炭婦協抗議大会、午前、午後交替して
4日間続いた。
 (S34.8.19)
 
 
第一次企業合理化案提示より
第二次合理化案提示までの経過概要
   古今かつて見られない激しさで闘われた三池争議のよってきたるべき原因は何処にあっ
  たか、それは争議以前にあったことを忘れてはならない。この5年間会社の無為、無策もさ
  る事ながら、これに対する三池労組の指導はその力にまかせて「活動家まかり通る」その
  ものであった。
   そのため職場の指揮系統は「マヒ」し秩序は乱れてしまった。なるほど労働条件はびっくり
  する位良くなったかもしれないが、
     「これ位しか働かないで良いのだろうか」
     「これ位働いてこんな賃金を取って良いのだろうか」
     「あれでは係員も仕事は出来まい」
     「こんな事で会社は赤字にはならないのだろうか」
  等々の疑問を持つ人達も相当あったことは否定出来ない。然しながら現実を無視した向坂
  理論の教育普及とこれに便乗する政治偏向の三池労組の指導は
     会社はつぶれても炭鉱は残る。
     なるべく少なく働いて多くの賃金を取り三井資本の搾取を排除する。
  との概念にとらわれ石炭産業の斜陽傾向、三池の低能率等の客観情勢を完全に無視して、
  一路企業合理化反対の道を突き進んだ。
   34年1月第一次再建案、同年8月第二次再建案に対する組合の態度、同年末にかけての
  闘争指導はこのことを明らかに物語っている。特に34年4月6日協定された希望退職募集さ
  えその消化に協力しないのみかあえて反対行動をとり、加えて生産点の対決により全面白
  紙撤回を求めようとした処に、この争議の激しくなった原因があるといっても過言ではない。
   新労、職組共組合である以上闘争そのものを否定するものでもない。 然しながら闘争の
  目的となるものは、現状と将来を見通しながら組合員の幸福を確保し、又向上させることに
  ある。 もし客観情勢の把握を忘れ組合員の団結の力を政治的、思想的にのみ利用し組合
  としての本来の目的を誤るならば、組合員の不幸これに過ぐるものはないであろう。

企業合理化反対総決起大会(於笹林公園)
(S34.9.6)
 
 
三作(三池製作所)支部三池労組を脱退(34.10.24)
新組合(三池製作所労働組合)を結成 事業所に籠城
新組合を結成した三池製作所労働組合員は
三池労組との紛争をさけるため事業所内に
籠城を行う。

面会風景

機械労働者としての意欲に燃えて生産に励む。
 
 
大牟田再建市民運動本部結成さる
 
         決  議  文

  三池炭鉱の崩壊は即ち大牟田の崩壊を意味するものであり、市民は早急円満なる妥結に
  よって、炭鉱の再建が達成されることを衷心から希求してきたが、現状はますます深刻の度
  を加え誠に憂慮に堪えない、もしこのまま推移せんか、三池炭鉱は潰滅し、ひいては関連事
  業にも大きな影響を与え父祖幾代に渉って営々辛苦、炭鉱と共存共栄今日の大をなした我
  が大牟田もまた崩壊せざるを得ないのである。
  この生死を決する重大なる危機に臨み我々はあくまで郷土大牟田市を護り、21万市民の福
  祉を維持発展せしめて、平和な明るい希望に充ちた大牟田の再建を図らなければならない
  故に我々は茲に大牟田再建市民運動本部を結成して正しい市民の与論を結集し三池炭鉱
  の再建が円満且つ速かに達成されるよう協力すると共に、大牟田再建に勇往邁進するもの
  である。
   右決議する。
        昭和34年10月10日                     大牟田再建市民運動本部
 
大牟田再建市民運動本部総決起大会
行き過ぎ闘争を批判するスローガンなどを
採択
 (S34.10.26)
大牟田再建市民運動本部の提灯デモ
 
 
総評九州拠点総決起大会が開催された
その日の大牟田の表情(34.11.8)
中心街商店は軒並みに
「ストはいや」の貼紙を出し
店を閉ざした。
大地評(大牟田地方労働組合
評議会)はその報復手段として
主な店五商店をボイコットした。
 
 
中労委(中山会長)斡旋案提示後(34.11.21)における
現地三池の動向
   第二次再建案に基づく希望退職者募集も三池労組の反対行動により、その50%も消化出
  来なかった。その為必然的に会社は指名解雇を実行する状態になった。こうなれば泥沼闘
  争となる。
   それを避ける為に中労委は斡旋に乗り出した。
    ○生産阻害の実態は認めるが、今後その様な事を起さない様生産に協力する。
    ○生産阻害者の解雇は避けて希望退職募集を行い、不足分は中労委の裁定基準によ
  り充足する。
   以上が斡旋案の要旨であったが、会社、炭労、三池労組は双方強気にこの斡旋案を拒否
  した。
   来るべきものが来たという事か。
退職勧告状返上デモ
山の上クラブ前で激しく
デモる
(S34.12.8)
被解雇者の繰り込みの問題
で職員(左上写真)
経営者(右側写真)
−黒ジャンパー−
を吊るし上げる。  三川鉱
(S34.12.15)
 
(写真下)
解雇者の強行入構支援に
来た炭婦協会員に囲まれ
会社幹部を激しく吊るし上
げる三池労組三川支部の
執行部員。
(S34.12.16)三川鉱
 
 
指名解雇状返上デモ(35.1.5)
指名解雇通知状返上デモ
山の上クラブ前で気勢を
揚げるデモ隊
山の上クラブ上空で
指名解雇状を返上する
三池労組ヘリコプター
(2点ともS35.1.5)
ロックアウト抗議デモ
ロックアウトに抗議し
本社前でジグザグデモを行う
三池労組
(S35.1.25)
 
 
批判勢力の台頭
  1月25日ロックアウトに入って以来1ヶ月、石炭産業の斜陽化、三井鉱山の企業存立の危
 機、行き過ぎた職場闘争などの客観状勢から企業整備反対闘争そのものに限界がある事、
 反対闘争そのものが組合員の為になるかどうか、等の疑問を持った人たちが夫々にこの争
 議のあり方に批判を持ち始めた。しかるに三池労組執行部はこの盛り上がって来た組合員
 としてのやむにやまれぬ気持ちを無視するのみでなく、統制権によりこれを圧殺しようとし始
 めた。
  ここにおいて組合運動は組合員の為にあるものであり、組合幹部やその背後のものの為
 にあるものではない。この争議の今後の路線を変更するか否か全組合員に計るべきだとの
 声は強く大きく広がっていった。
  これは組合に対する裏切り行為でなく、自分の生活を守るため組合員としての当然の権利
 を主張したに過ぎない。このまま争議を続行するか、路線を変更して、組合員の生活を守る
 か、その何れが組合員の為に正しいことであるか、何れが組合員を裏切る事になるか、この
 争議の結論がその事を証明してくれた。
 三川支部職場分会員、
情宣ビラ問題で支部執行部
を批判、釈明を求めて
座り込む。
(S35.2.18)
 
 
三池労組刷新同盟結成さる(35.3.15)
  三池労組幹部の階級闘争至上主義的な行き方に対し、闘争方針の転換を要求する菊川委
 員外批判派中央委員の要請していた緊急中央委員会は午後2時25分から開かれたが、批判
 派の提案した“全組合員の無記名投票による戦術転換是非”の件は入れられず、遂に批判派
 中央委員69名(中央委員数254名)は退場し、批判派組合員共々「三池炭鉱労組刷新同盟」を
 結成した。
 その数は約3000名であった。
 
 写真上
 中央委員会開催前、批判派中央委員決意を表明する。
 写真中
 中央委員会会場前に結集した批判派組合員約3000名。
 写真下
 中央委員会会場。
中央委員会はもめにもめ遂に
夜に入り、大牟田再建市民運
動本部の自動車数十台のライ
トに照らされる中で続いた。
しかし批判派中央委員の提案
は入れられず、午後7時過ぎ遂
に一斉に退場した。
批判派組合員は市中を行進、
市民の拍手を浴びながら市民
会館に向かった。
批判派組合員約3000名は刷
新同盟を結成、五つのスロー
ガンを可決、結束を誓った。
 
 
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