我楽苦多

 
         我楽苦多
                                      宮内社宅  高嶋耕史
 
  「我楽苦多」、これは私の句日記の標題である。「がらくた」と読み「苦しみ多けれど我楽
 し」と私なりに解釈して、私の座右の銘にしている。「がらくた」の名に恥じず、なんでもか
 んでも思い切り書きなぐっている。 これは私の心の憂さの捨て所でもあり、オアシスでも
 ある。
  新労組結成三周年を迎えるに当たり、結成当時に想いを馳せて「我楽苦多」日記の1コ
 マを繙いて見よう。
 
         昭和34年8月
      主婦たちの抗議デモとか秋暑し
  三井鉱山第二次再建案提示、炭婦協を動員して鉱長室前を「ジグザグデモ」している。
 額に汗し、背の子は泣きじゃくり、これで良いんだろうか?  こうした「デモ」が何の甲斐に
 なるというのか? 世界は大きく燃料革命の嵐が吹いているというのに…。
 
         昭和34年12月
      三猿の教へきびしや大焚火
  遂に指名解雇が出た。こうなる前に何らかの手を打つことは出来なかったのか? だが
 併し悲しいこの現実…。 団結のためにという鉄の統制…。 万物の霊長たる人間様が、猿
 の真似でもあるまいに、思うことも言葉に出せないとは…。
      斗争の鉢巻締めて師走妻
  鉢巻締めなけりゃ頭でも割れると言うのか、買い物のときは勿論飯食う時までもとは…。
 ああ団結という言葉の恐ろしさ…。不甲斐ない夫を妻よ許せ…。
 
         昭和35年1月
      雲乱れ三池の空の凍てつきぬ
  遂にロックアウト、無期限スト突入、好むと好まざるによらず、ずるずると泥沼に引きずり
 込まれた気持ち、何とか立ち上がらねば…、やらねばならぬ。
 
         昭和35年3月
      梅が香のほのかにゆれるつどいかな
      ほころびし梅の香りに幸あれと
      鉢巻をとって行進春の月
  遂に立ち上がった、批判勢力…刷新同盟…新労結成…。正しい民主的労働運動推進の
 ために、私達の幸福を守り、会社再建のために。 就労…篭城…生産再開…。
      雲切れて三池の空や花ひらく
      早春の有明の海波高し
      春浅き今日入構の同僚送る
      早春の海を渡りて入構す
      薫風やベルトに映ゆる黒ダイヤ
      炎天やホッパースタイルいかめしく
      水筒と言う名の竹を背に負うて
      炎天やホッパーパイプという土産
      新涼の空より入構篭城す
      新涼の鉱山に篭城そぼろ汁
      篭城の月に愛妻物語
      吾子よりの文篭城の月に読む
      積み上げし貯炭の山やさわやかに
      夜長の灯下げて篭城日記書く
      篭城の夜長をかこち牌をふる
      野菊押し鉱山篭城の事務所かな
      ピケ小屋に人影見えず虫時雨
 
         昭和35年11月
      菊映えて今日篭城のピケ解くる
  「ニィ公」と呼ばれ「裏切り者」「脱落者」と罵られながらも、じぃっと唇を噛みしめて。
 
         昭和37年3月
      過ぎし日々想ひ新たに黄水仙
      誇りある胸のバッチやうららかに
      めぐり来し今日想ひ出の花に酌む
  新労組結成二周年記念園遊会が想い出の地延命公園において行われる。例えようも
 無きこの歓喜、妻と子と手をとり合っての楽しいひととき…。
      
すこやかに伸び行く吾子ら春立ちぬ
 
         昭和37年5月
      相容れぬ二つのこころ花あざみ
  不倶戴天の仇のように今も尚残るあの憎悪に光る眼、ただその行く道が違うというだけ
 で悲しきかなこの現実、だが併し私たちは私たちの幸せのために 私たちの幸せを守るこ
 とは私たち自らで築かねばならない。正しい民主的組合の発展それは即ち企業繁栄につ
 ながるもの、働く者のみが知るこの幸福、これはなにものにも冒されない…。三池争議終
 結して一年有余、1万2千トンペースも確保されたとは言うものの、まだまだ石炭界は楽観
 を許されない。現在の炭況をなんと見る、 決して安定したとは言えまい。旧労幹部の指導
 宣伝を真に受けて、ただ闘争にのみにそれを賭けて疑うことを知らない人たち、 地球は大
 きく回転している、 人工衛星の飛ぶ世の中に、小さい三池の殻の中に閉じこもっていたら
 大間違い、一時の感情に溺れることなく、大きな心を持って、同じ血の通った日本人たる
 の自覚を持って…、 愛する我が子、我が孫のために…、明るい住み良い社会建設の為
 に…。
 
  以上「我楽苦多」日記から三池争議に関するものを引き抜いてみたが、茲に新労組結成
 三周年記念日を迎え、益々炭界は厳しく、近く我が三井鉱山にも第三次合理化が提示さ
 れると聞く。 私たちは新労組を結成した当時のあの感激、あの意欲と情熱をもって、この
 難局を切り拓き、私たちの幸福を守る為に努力しよう。
      寒梅やこの道遠くひとすじに
                                    昭和38年2月20日記す。
  

親父のアルバムへ 想い出の三池炭鉱トップへ