三 池 争 議 ま で の 軌 跡
          (平成2年3月発行 三池新労組結成30周年記念誌「風雪」より抜粋)
 
    向坂教室と主婦会
 
  当時の三池労組は「首切り合理化反対」の闘争戦術を早くから検討していた。まず考え
 られたのが、家族ぐるみによる闘いであった。
  昭和28年従来の校区婦人会を抜け出し炭婦協を結成してまずぶつかったのが、同年の
 企業整備反対闘争であった。 “113日の英雄なき戦い”を勝利に導いたのは、台所で長
 期ストを持ちこたえた主婦の力だとも言われている。 そして炭婦協は労組のデモや会社
 への抗議デモにも必ず加わった。 炭住街近くの商店へ買い物に出掛ける時には炭婦協
 の鉢巻を締めた。

  この主婦会の活動と共にもうひとつ労組を支えていたのが、職場や社宅での“学習サー
 クル”による理論武装であった。「向坂教室」と呼ばれる学習活動が始まったのは昭和24
 年2月、三池労組灰原書記長や塚本本所支部長らが音頭をとり、労農派元老、向坂九大
 教授を招いてマルクス資本論の講義を開いた。以来九大の向坂門下や九産労の先生た
 ちを中心とした講師陣による「三池は絶対につぶれない。日本でも最高のヤマだから、経
 営陣がつぶすはずがない。三井が手放す場合には政府が何か手をうつに違いない。 会
 社はつぶれてもヤマは残る。その時こそ炭鉱国管が問題になる。」あるいは「会社がつぶ
 れるのが1日早ければ、それだけ早く社会主義社会に近づくのだ。」という階級闘争至上
 主義に基く革命理論を基調とした“学習会”が連日開かれ、時事問題などわかりやすく話
 してもらい、主婦たちが納得のいくまで討論を繰り返す。こうしてマルクス主義のスジガネ
 が1人1人の組合員、主婦たちに至るまで叩き込まれた。
  「政府も資本家も官憲も裁判官も、新聞やラジオだって同じこと、私たちの敵です。」こう
 した言葉が鉢巻姿の主婦の口からも出るようになった。
 
    職場の主人公…職場分会長
 
  昭和31年春、三池労組は職場闘争を定着させる「到達闘争」という新手を編み出した。
 職場分会などへ三権(スト権、交渉権、妥結権)を委譲、闘いの方式は三段階対角線交
 渉という独特のものになった。それぞれの職場から不平、不満を集め職場分会長から係
 長に要求、それが通らねば鉱、課長−所長へと要求を続けた。そして集められた1,000項
 目の要求をめぐる職場闘争は完全に会社を押しまくり、組合はトイレットペーパーから500
 人収容の集会場まで輝かしい戦果を勝ち取った。 三池を動かしているのは組合であり、
 職場の主人公は組合の職場分会長であった。
  その後、石炭界を重苦しく包んだエネルギー革命の嵐と三池の低能率により昭和33年度
 の赤字額は実に46億円に上っていたという事実を背景に、三井の再建案は昭和34年1月
 19日、ついに第一歩を踏み出し、ここに総資本対総労働の闘いといわれた“三池争議”の
 火蓋を切ることになる。
 
2001.11.11.作成
 
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