2022.9.14.作成
三池炭鉱三川坑(当時は三川鉱と書いた)は、戦後の三川、宮浦、四山という三坑体制の最主力坑で、後に宮浦がなくなり、有 明がこれに変わるが、主幹坑道は海面下350m(有明…320m、四山…520m)で、これを二本の斜坑で、地上とつないでいた。 四山や有明で掘られた石炭もすべて三川坑の第1斜坑から坑外に運ばれ、選炭工場へと送られていた。 三川坑跡には、ブログにも書いているように、近代化遺産一般公開2013の時に行ったきり、約9年ぶりとなるが、現在の状態が 気になって9月3日の土曜日に家族連れで行ってきた。 前回の時は近代化遺産の一斉公開だったので、万田坑からバスに乗って各遺産を回ったが、今回は直接三川坑へ行き、以前 は一般職(鉱員)の脱衣場と浴場のあった場所に設けられた駐車場に車を入れた。 私たちの前にも2〜3グループの人たちが来ていて、説明係の担当者に話を聞きながら回っていたので、私たちもその輪に加わ るよう後を追った。 |
三川坑正門前。 駐車場はこの正門をくぐった中の左手にある。 |
正門を内側から見たところ。 左手建物は元の守衛小屋になる。 |
ここが一般職社員(鉱員)用の脱衣場、浴場があったところ。 現在は更地となって、見学者の駐車場となっていた。 |
入昇坑口。 右手にその日の作業指示を受ける繰り込み場があり、 そこからここを通って人車乗り場へと向かった。 |
第二斜坑口。 この斜坑が主に作業員の入昇坑に使われた。 現在は綺麗に密閉してあるが、このトンネルが海面下350mまで伸びていた。 |
第二斜坑に貼ってあった説明写真。 |
斜坑の壁にあった「人車搭乗者注意事項」の看板。 信号法の巻けは(斜坑の場合)昇る、差せは下る方向に動かすこと。 |
人車。 すごくボロボロになっていた。 |
人車と人車ホーム。 約7分くらいで海面下350mの坑底まで下りていた。 |
第二斜坑口建屋全景。 |
繰り込み場、職員詰所、などがあったと思われる建物。 あまりに壊れすぎていて、9年前には中を見ることもできたが、今は入ることもできない。 |
第一斜坑の説明文。 この第一斜坑で炭塵爆発が起きた。 せっかくの案内看板なのに、面白半分に傷つける人がいるのは悲しいことだ。 |
三川坑炭塵爆発慰霊碑。 今は完全に埋め戻されたかつての第一斜坑の上に 亡くなった方々の名前を刻んだ慰霊碑ができていた。 |
第一斜坑巻揚機。 斜坑自体は埋め戻されているが、巻揚機室は中の巻揚機共々残っていた。 |
巻揚機の運転席。 |
ありしひの三川坑全景模型。 平成9年とあるので、閉山間近ということになる。 |
全景模型の中の第一斜坑と第二斜坑。 |
繰り込み場と鉱員用脱衣場、浴場など。 |
これらの写真で、現在の三川坑の様子を感じてもらえるとうれしいが、はっきり言って、朽ちすぎだと思う。世界遺産の中には 入っていないとは言ってもこうして保存、公開しているのだから、もう少し適正な維持管理を市なり県なりに求めたい。 |