自己紹介でも述べています様に、私は以前三池炭鉱に
 勤めていました。
  昭和57年4月から平成元年9月まで7年と5ヶ月の間、四
 山鉱坑内機械係 、同じく坑内電気係、有明鉱( 第二鉱 )
 坑内電気係として坑内で働きました。 (欠勤が多く、あまり
 真面目な従業員ではありませんでしたが…)

  平成9年3月30日を以って三池炭鉱は閉山しましたが、そ
 れに伴いその施設、社宅などが取り壊され、 かつての炭
 都の面影は急速に失われています。
  これは元炭鉱マンとして大変に残念なことですが、閉山
 後沈滞ムードが長くのしかかり、いまだに失業者が巷にあ
 ふれている現状を見ると、広大な社宅跡地を是非有効利
 用して地域再浮揚の足掛かりにして欲しい、少しでも雇用
 の場を増やすため企業誘致を全力で進めて欲 しいと願わ
 ずには居られません。
  その上で現在残っているものについては、出来るだけ保
 存し( 移築できるものについては集約保存して ) かつて炭
 都として栄えたこの街を残す努力をして欲しいと思います。

  以下のページに私と父のアルバムの中から、炭鉱の写真
 を僅かながら紹介したいと思います。保存状態が悪い写真
 もありますが、ご容赦ください。

     



三池争議 親父のアルバム 港沖四山鉱 大牟田市石炭産業科学館
万田炭鉱館 宮浦鉱跡 坑内電車 5立方m炭車と揚炭システム
社宅編 1 社宅編 2 臼井社宅(00.07.) 現在の緑ヶ丘社宅跡地
“人災”その後 炭鉱用語集 関連書籍紹介 炭鉱電車緑ヶ丘線跡
新入社員保安教本 万田坑市民まつり 「青春の門」万田坑ロケ 三川坑の現在


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三池のあしあと Vol.1