港沖四山鉱
平成9年2月のある日曜日、私は想い出深い四山鉱(港沖)跡を訪ねてみました。 3月30日の閉山に先立ち、港沖立坑の立坑やぐらが解体撤去されるとの報道に接し、 長い間入昇坑で使用した、 あのやぐらが無くなると思うと居ても立っても居られず、 せめて写真だけでも残しておこうとの思いからでした。 |
まず正門へ行ってみたが、関係者以外立入り禁止で、出てきた門衛の人に 写真を撮りたいので中に入らせて欲しいと頼んでも危険と言うことでNOの返事。 「 中に入らなくてもあそこからなら綺麗に撮れるよ 」 と言われ、まずはそこからパチリ。 それから、元資材運搬路だった裏口へ回って、やっと立坑のそばまで辿り着いた。 |
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いままさに解体されようとしている港沖立坑。 このやぐらは高さ45mで、地下520mの坑底まで1分半弱で人や材料を運んでいた。 これはかなりのスピードで、特に初めての入坑時はキ○○マが喉まで上がってきたみたいな 感じがした。( と言えば男性には想像がつくでしょう ? ) 3、4日もすればそれにも慣れたが…。 |
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この写真の真中にある3本の枠の中をつるべ式のケージ(
エレベーターの箱 )が通る。 この立坑のケージは上中下3段式で、1段に25人3段で75人を乗せて入昇坑していた。 |
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一般職社員( 鉱員のこと、職員と区別してこう呼ばれた。
)用の脱衣場と浴場跡。 2階建て部分が脱衣場、その右の平屋部分が浴場。 ここの脱衣場は、各人のロッカーを兼ねていたが、いわゆるロッカーではなく、高さ70〜80cm 直径50cm程の籠を天井に取り付けられた滑車で上下させて使う。使用時は降ろして着替え た洋服などを入れ、用が済んだら吊り上げて鍵をかけておいた。 この方式は三池でもここだけで、脱衣場が広く使え、ネズミも出ず、いい脱衣場だった。 |
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坑外修繕場。 各職場の坑外修繕場が並んでいた。 一番手前が電気の修繕場だった。 |
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放置され、錆だらけの自走枠。 かつては採炭現場でその力を振るった自走枠も雨ざらしで放置され、錆だらけになっていた。 |
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斜坑人車。 ケーブルカーのように斜坑を上り下りして作業員を運んでいた。 屋根から下がる配線は運転手と連絡をとるための信号線。 |
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水平人車。 こちらは、電車に牽引されて水平坑道をおよそ7キロの区間走っていた。 この車両には、電磁石の力でブレーキシューをレールに押し付けて制動力を得る トラックブレーキというものがついていた。車両の妻板についているボックスと配線は そのブレーキ用のものと信号線。 |
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坑外修繕場の中の様子。 まだ様々な道具や材料がそのままに放置されているようだった。 |
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坑外修繕場の一室。 入り口のガラスには、四山鉱独自の 活動だった「職場充実運動」のSJマークの ステッカーが貼ってあった。 |
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放置された自走枠越しに見る港沖立坑。 |
先日、再びこの場所を訪れてみましたが、門が完全に締め切ってあり、中には入れ ませんでした。もちろん立坑やぐらはもうありませんが、その他は、遠目に見てもあま り変わっていないようでした。 四山旧坑爆破の時はそんなには感じなかった寂しさが、港沖立坑が無くなっている のを見るとこみ上げてきました。 港沖立坑は、私の炭鉱時代のシンボルそのものでした。 |