宮浦鉱跡
宮浦鉱は明治20年に開坑された(大斜坑の開坑は大正12年)三池炭鉱の主力鉱のひ とつで、昭和44年に三川鉱と坑口統合されるまで活躍しました。 特に終戦後の三池は、三川、宮浦、四山の3鉱体制が長く続き、三池争議、三川鉱炭塵 爆発もこの時期に起こっています。 この宮浦鉱の跡が現在では公園化され、きれいに整備されているということで、先日カメ ラを持って行ってみました。残念ながら、繰込場その他の施設はまったく残っていません でしたが、斜坑の周辺が整備され、坑口こそ閉鎖されているものの、 斜坑のレールの上 には斜坑人車が展示してあり、 過日の雰囲気を僅かばかりではありますが、今に伝えて いました。 |
現在は宮浦石炭記念公園として整備されている宮浦鉱跡。 |
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宮浦鉱第1斜坑坑口。 主に作業員の入昇坑に使われた。 |
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第2斜坑坑口。 材料運搬が主な用途の坑口。 炭鉱の坑道は普通2本1組になっていて、片方から新鮮な空気を取り入れ(入気坑道)、 一方から坑内の汚れた空気を排出している(排気坑道)。 私は宮浦鉱のことはよく知らないが、恐らくこの第2斜坑が排気坑道だったと思われる。 |
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斜坑人車。 斜坑人車は一種のケーブルカーで、先頭車には車掌が乗車する。 斜坑の一番上にある巻座に運転手がいて、車掌の合図により巻いたり、差したり 止めたりする。(巻く…巻座の方へ移動、差す…巻座から離れる方へ移動) 坑口側(巻座側)の先頭車両には大きな爪がついており、万一ワイヤーが切れた時は この爪が自動的に降りて、枕木に引っ掛かり、逸走を防ぐようになっていた。 |
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一般の作業員が乗る普通車。 普通3人掛けで、1両に15人乗れる。 頭の上にはカバンを下げるフックがあった。 |
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怪我人を担架のまま乗せる負傷車(四山鉱では救急車といった。) 担架を固定する台には斜坑の勾配を考えて高さを変えてある。 |
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斜坑跡の横の展示スペースには、坑内機械が数台並べてあった。 |
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明治21年建造のレンガ煙突。 当時の蒸気ポンプなどの 動力源の蒸気を作る ボイラーの煙突で、 「あんまり煙突が高いので〜」 と唄われたもの。 高さ31.2メートル。 |